逆視道本部講師 渋谷規子です。
今、3社で共同プロジェクトを進めている中で
B社に確認をした上でA社に連絡した内容に
誤りがあって、A社から指摘を受け、
お詫びをすることになりました。
そこで担当している部下のCくんに
「お詫びのメールを送っておいてね」
と頼んで、
「送りました」と届いたメールを見た時に
「あっ!やってしまったねー」
と思ったんです。
それは何かというと、
一見お詫びのメールになっているようですが
B社に確認はしてもらったんですが…
と言う内容が含まれていました。
事実としてはたしかにそうです。
ただ、A社もB社も大切な取引先です。
これを友人と置き換えるとわかりやすいと思います。
A子ちゃんもB子ちゃんも大切なお友達です。
B子ちゃんの確認ミスで
私がA子ちゃんに誤った情報を伝えてしまった。
その時、私がA子ちゃんに
「B子ちゃんが間違ったからなの、ごめんね」
と言ったとしたら
この3人に微妙な空気が流れませんか?
Cくんには伝えました。
「誤った情報を送ってしまった事実だけを
お詫びすればよかったね」と
僕は一生懸命に仕事をしている
僕は何も間違っていない
それをわかってもらいたい。
たしかにそうなんです。
けれどもそれは、
彼の名誉欲であり承認欲です。
人が苦しんだり腹が立つのは
自分の思い通りにならないから
それが欲であり煩悩です。
そしてその欲が満たされることが
幸せだと思っています。
しかし、仏教の教えは違います。
苦しみがあってもいい
今の状況で充分だと思う
そして、
いつどんな時でも
自分の喜ぶ言葉を使っているのか
自分がしてもらって嬉しい行動、思考を
相手にしているのか
これはとても大切なことであり
とても難しいことです。
笑顔で穏やかに、優しい言葉で
相手に譲れる余裕をもって…
これらはすべて、無財の七施
この無財の七施を施し続けることが人生だと
お釈迦様は言われます。
毎日丁寧に心を見る。
そして行動をする大切さを
あらためて感じた出来事でした。