こころのくすり箱 逆視道

逆視道協会講師のブログです

それは自分が喜ぶことですか?

逆視道本部講師 渋谷規子です。

今、3社で共同プロジェクトを進めている中で

B社に確認をした上でA社に連絡した内容に

誤りがあって、A社から指摘を受け、

お詫びをすることになりました。

 

そこで担当している部下のCくんに

「お詫びのメールを送っておいてね」

と頼んで、

「送りました」と届いたメールを見た時に

 

「あっ!やってしまったねー」

 

と思ったんです。

 

それは何かというと、

一見お詫びのメールになっているようですが

B社に確認はしてもらったんですが…

と言う内容が含まれていました。

 

事実としてはたしかにそうです。

ただ、A社もB社も大切な取引先です。

 

これを友人と置き換えるとわかりやすいと思います。

A子ちゃんもB子ちゃんも大切なお友達です。

 

B子ちゃんの確認ミスで

私がA子ちゃんに誤った情報を伝えてしまった。

その時、私がA子ちゃんに

「B子ちゃんが間違ったからなの、ごめんね」

と言ったとしたら

 

この3人に微妙な空気が流れませんか?

 

Cくんには伝えました。

「誤った情報を送ってしまった事実だけを

お詫びすればよかったね」と

 

僕は一生懸命に仕事をしている

僕は何も間違っていない

それをわかってもらいたい。

 

たしかにそうなんです。

けれどもそれは、

彼の名誉欲であり承認欲です。

 

人が苦しんだり腹が立つのは

自分の思い通りにならないから

それが欲であり煩悩です。

 

そしてその欲が満たされることが

幸せだと思っています。

 

しかし、仏教の教えは違います。

 

苦しみがあってもいい

今の状況で充分だと思う

 

そして、

いつどんな時でも

自分の喜ぶ言葉を使っているのか

自分がしてもらって嬉しい行動、思考を

相手にしているのか

 

これはとても大切なことであり

とても難しいことです。

  

笑顔で穏やかに、優しい言葉で

相手に譲れる余裕をもって…

 

これらはすべて、無財の七施

 

この無財の七施を施し続けることが人生だと

お釈迦様は言われます。

 

毎日丁寧に心を見る。

そして行動をする大切さを

あらためて感じた出来事でした。

鏡に写った自分

逆視道本部講師 三井年美です。

 

私も私に関わる人も幸せにできるのはコレ。

やる側もやってもらう側も幸せになれるのはこの7つです。


改めて人生の基本だと思っておこうと昨日、思いました。


光静先生の法話会に参加してきました。

前回も聞いたお話ですがさらに深く心

に届いた気がします。

 

 

この七つを自分からやると 幸せの循環がはじまる!!

 


誰でも、いつでもできる善い行いが「無財の七施

 

 

無財の七施

 

眼施』 

優しい眼差し

 

和顔施
笑顔、穏やかな表情

 

言辞施
労いの言葉

 

心施
心をこめて

 

身施
体を使ってできることを自らやる

 

床座施
お先にどうぞと譲る心

 

房舎施
休む場所を施す 

 

 

これらを意識して人にも自分にも接していきましょう

という教えです。

 

これをやることは【幸せの種まき】


今、生きてる私を幸せにしてくれるだけでじゃなく

肉体を手放した後続くという有効期限のない幸せ。

 

コレこそ最強の行いかも。


でも、この話を聞いてでてくるのは


やってるつもりでもできてないことだらけだということ。


あの時・・ 

 

愚痴ってしまったな・・
面倒くさいと思っちゃったな・・
ゴミ拾えなかったな・・
言葉キツかったな・・
お疲れ様って言えなかったな・・


光静先生の話を聞いているだけで、できてない

嫌な自分と出会いました。自分が見えてくる!!


でも、できてない自分に気づけるって

スゴイことですね (笑)
ここはプラス思考で!

伸び代だと思って頑張ろう。


仏教は自分を写してくれる鏡とも言います。

鏡に見えてる自分を綺麗にしていかないといけません。 


この七つを沢山の人が生きるベースにすると間違いなく

世界平和ですね!!

 

痛みは感謝のサイン

逆視道本部講師の藤田恭子です。

 

最近、昔に痛めた右膝が、また痛くなり

歩くのが辛い時があります。
特に階段を降りる時、

膝の皿の内側に痛みが走ります。

 

それなのに、11月はいつもより外出が多くて、

右膝が悲鳴を上げています。
私の体、ゴメンナサイ…

 

整体で整えてもらったり、サポーターをしたりと、

なんとか日常生活は送れていますが、

寒くなってくると、右膝だけでなく、右肩など、

あちこちの古傷が痛みます。

 

老化だから仕方ない…
と思いながらも、私の体は一緒懸命に治そうと

頑張っているんだなと感じます。

 

人は痛みや辛さなど、

何か自分にとって不都合な事が起こって初めて、

その部分にやっと感謝が出来る生き物だと、

つくづく思います。

 

普段は当たり前で、感謝の微塵もなく、

その当たり前が一生続くと勝手に思っています。
でも、一生同じように体が動くことはなく、

出来なくなっていく事が、

少しづつ増えていくのです。

けれど、自分にとって不都合な出来事が起こるのは、

悪い事ではなく、その出来事によって

何かを気づかせてもらえる、ありがたい事なのです。

 

体の痛みだけでなく人間関係なども同じです。
親子関係、夫婦関係、友人、会社など

様々な場面で何か問題が起こり、

初めて気づく事が出来るのです。

 

そして、ありがたい事だったと気づき

反省して、良い方向に導かれて行くのです。

これを、「逆縁の菩薩」と言います。

 

また、善い事が起こり、

それによって善い方向へ導いてる事を
「順縁の菩薩」といいます。

 

多分、我々は順縁の菩薩よりも

逆縁の菩薩の方が多い気がします。

それだけ、感謝に鈍感で愚かなんでしょうね。

 

それでも、逆視の講座であったように、

何があっても「ありがたい、それは何故?

という思考して、少しでも感謝を忘れず

生きたいものですね。

野放しにしていました

逆視道認定講師のAraki Ayakoです。

 

東洋思想、仏教の学びは実践行動学です。

そう、前のブログにも書きました。

しかし、

できていなかった自分に改めて気づくことが起きました。

 

逆視道の学びの中にも

自分の心を客観視することを学びます。

私も知っていました。

知っていただけだったと今さら思いました。

 

なにが?

 

いろいろな場面で

「ムカつく」「怒る」気持ちが出てくる私。

その感情を垂れ流しにしていたのです。

 

なぜ、怒りが出ているのか

何が気になったのか

なぜ、どうして

 

自分に向けて問う

 

このことが、やっと

最近になって

私の中に出てきたのです。

 

いろいろな感情が、いっぱい湧きます。

その中には、いつまでもザワザワと

心の中に居続けるものがあります。

それらを野放しにしてきました。

 

やっと、気がつきました。

 

逆視道で学んで知っていたはずです。

実践できていませんでした。

逆視道協会のブログに書いていて

とっても恥ずかしいです。

 

ようやっと、

 

心を客観視すること

 

理解できてきたのかもしれません。

 

自分に向けて問う

 

今回の気づきも

一過性のものにしないように

鍛錬し続けないと

すぐ忘れてしまうよと

自分に言い聞かせています。

見方をかえてみる

逆視道認定講師の志賀美絵です。

 

新しい職場になりやっと2ヶ月をこえ

少しずつ慣れてきたかなと思う今日この頃です。

 

入職当時は

スタッフをどなりちらす上司の姿を

何度となく目にしていたので

明日は我が身

ハードな職場に入ってしまった…

 

なんて思って不安を感じていたりしたのですが

 

これは逆視道の実践のテストだと切り替えると

不思議と見え方がかわるもので

少し距離をとって自分の心の揺れも

みれるようになります。

 

どうしてこんな大きな声で伝えるのかな?

今日はどんなことで怒りを感じてるのかな?

こっちの方向で声をかけたら回避できるのかな?

 

とういう風に思考をいれ出来事による感情に

振り回されないようになると

相手の新しい一面がみえてきました。

 

見方がかわり距離をとれるようになると

相手の心の動きも

なんとなく理解できるようになったりします。

 

そうすると

こちらの対応もかわり

結果、相手の対応もかわって

 

今では入職時に思っていた環境ではなく

働きやすい職場になりました。

 

もし、初めの感情に振り回されたまま

相手のことをそのメガネで見続けていたら

また違う結果だったと思います。

 

外界に原因があるのではなく

犯人は内界にいる。

 

自分が変われば周りも変わる。

 

なにか嫌な出来事にであったら

自分がかわるのが

そこから抜け出す一番の近道だと思います。

 

 

 

 

後半の人生は、かきくけこ

逆視道認定講師、youko です

 

先日女子数人でランチをしました

平均年齢64歳

話題にあがったのは

親の介護、嫁の愚痴、健康や金銭面の不安

 

年代的に「あるある」話ですが

せっかくの美味しい料理を文句言いながら

食べるのはもったいないなあと

思っていました

 

すると、Iさんが

後半の人生は『か行』で行こうよ

と話しだしました

 

感謝・気配り・工夫・健康・恋心があれば

人生なんとかなるもの

 

見えないものに気付けたら

どんな時でもありがたいって幸せに

生きられるんだよ

 

時間と、元気と、お金があったから

ランチに来れたんだよね

苦労話や不平不満もいいけど

この空間を味わって過ごそうよ

 

親が生きてくれているから孝行ができる

嫁がいてくれるから息子を任せられる

明るい話題の方が消化にもいいよ

 

いつもあまり喋らないIさんの発言に

驚きながらも

 

ほんまや

お酒で憂さ晴らしするサラリーマンに

なってたと

みんなで大笑い 

 

価値観の合う仲間と過ごせることって

幸せですね

 

 

施しの相手は未来の自分かもしれません

逆視道認定講師 先田孝江です。

年をとった両親を見ていると、歳を取るという事は、どこかに障害が出るという事だと感じます。

 

目も耳も滑舌も身体も悪くなり視野も狭く

思い込みは強くなり、人の話は聞かないし

こだわりもたくさん。

 

世の中には視覚障害聴覚障害発達障害、高齢者と名が付いて、健常者と分けて考えてます。

ケアでいうとそれも大事かと思うのですが

それよりも、目の前に困っている人がいて

自分が手助け出来る事があれば手を差し伸べる

世の中になる方が、幸せではないだろうか。

 

仏教は実践行動学です。

まず行動するのは布施業。

その中でも無財の七施はすぐに始められる事

ばかりです。

 

優しい眼差し、思いやりの言葉、笑顔、心遣い、身体を使った親切、席を譲る、場所を譲る

 

自分が歳をとれば、必ず誰かのお世話になります

目の前の人に施すという事は未来の自分に

施しているのと同じかもしれませんね